気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている
ウマいか?→まあ、フツー。安い?→まあ、そこそこ。早い?→まあ、確かに。吉野家、ココイチから野郎ラーメン、カラオケパセラまで35軒のチェーン店が俺を魅了して止まない理由。
“いい歳をした大人”がチェーン店でメシを食べるということ経由で知った本。
吉野家、びっくりドンキー、サイゼリヤ、牛角、日高屋、リンガーハットなどなどの思い出本。
著者曰く、
「こう言っちゃなんですが、別にチェーン店が素晴らしいなんて言うつもりはさらさらありません。ぼく自身も個人店が大好きだし、チェーン店なんていい歳した大人が大手を振っていくところじゃありません(笑)。でも、本に書いたようなチェーン店での思い出は、誰にだってあると思うんです。子供の頃に家族で行ったファミリーレストラン、泣きながら食べたチェーン店のラーメン。そんな話を肴にして気のおけない仲間と酒を飲めば、それでいいんじゃないでしょうか。ただ、ひとつアドバイスをさせて頂くならば、ファミレスのドリンクバーは2杯まで(笑)。あそこで3杯以上飲んで話していることは、きっとロクなことじゃありません」
『孤独のグルメ』のゴローさんが行く個人経営の店ではなく、チェーン店によく行くのは『孤独のグルメ』とは違う孤独を感じます。
そんな私は 290 円が 380 円になった松屋のプレミアム牛めしを楽しみにしています。
この 90 円上がった「プレミアム」は、フローズン肉ではなくチルド牛肉になったそうです。
290 円では経営が厳しいので、プレミアムを口実にした実質値上げだと勝手に推測しています。
松屋に行く人は味ではなく値段を求めているように思うので、どうなんでしょうね。
ちなみに私は牛丼御三家の中では、松屋は味噌汁が付くので松屋派です。サラダも注文してすっぱいフレンチドレッシングをたっぷりかける派です。
元々は味的にすき家派だったのですが、パワーアップ期間が長すぎて。
4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ 涙の球団史
この著者の村瀬秀信さんはこんな面白そうな本も書いています。
この本のインタビュー記事がありました。
地元の球団はとても弱かった。1950年の球団創設から昨年までに積み重ねた黒星は、12球団最多の4522。
ライターとしてではなく一ファンとしての疑問が、選手やOB、球団社長ら50人以上に話を聞く原動力になった。行き着いたひとつの結論が組織のあり方。たとえば〈クジラ一頭獲れれば選手の給料はまかなえる〉〈クジラと監督は外から獲ってくるもの〉という大洋漁業時代の大ざっぱな漁師気質が破天荒なチームの魅力だった半面、長期的な球団運営を妨げた。
村瀬さんは取材中、何度も涙が溢れたと語る。琢朗も内川も、職員も……みんな球団に強い思い入れを持っていた。勝ちたいと願うからこそ、抱える忸怩たる思いと決断――。30分の予定なのにもかかわらず2時間も3時間も話してくれる人もいた。
私の小学校時代、近くに「大洋ホエールズ」の二軍の選手が集団で住んでいて、送迎のライトバンが来ていました。
選手に手を振ると、手を振り返してくれるので、なにせ小学生なので、そんな理由くらいで大洋ホエールズがなんとなく好きでした。
今も昔もリアルな野球の試合は見ず、もっぱら野球漫画を読む派なんですけどね。
鯨だけが理由じゃないでしょうが、大洋漁業株がマルハになったり、大洋ホエールズが横浜ベイスターズになったのは昭和の終わりを感じたものです。
最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生
親会社の変遷と、募る球団への不信感。ホエールズ時代を知る盟友たちが次々と去る中、クジラの伝統を守ろうと、最後までもがき続けたオバQこと田代富雄。運命に翻弄されてなお輝いたその野球人生。
茅ヶ崎に田代ラーメンあったなぁ、と思ったら今はもうないとのこと。
オバQの由来は、沖山さんのアドバイスに対して間の抜けた受け答えをしたから。
田代監督代行がオバQと呼ばれるようになった理由は、諸説あってはっきりしなかった。(1)顔がオバケのQ太郎に似ているから (2)オバケのような飛距離の本塁打を連発したから (3)極度の鈍足で、「足がない」にオバケをひっかけた-といったものだ。
そこで勝利の余韻に浸る田代監督代行に、直接聞いてみた。すると意外な答えが返ってきた。
「プロ入り(1973年)当初、2軍のコーチだった沖山(光利)さんが呼び始めたんだよ。沖山さんのアドバイスに対して、おれが間の抜けた受け答えをしたんだろう。『おまえは、オバQみたいなヤツだな』と言われた。顔が似ている? 足がない? 全部違うよ」というのだ。
'84 横浜大洋ホエールズ
いかにもタレント本的な表紙ですね。
元祖カミソリシュートの秋山登さんです。優勝経験があり、監督にまでなった方ですから、こぼれ話とか面白そうです。