面白い本の表紙

もしくは美しき水車小屋の娘

ギリギリ進行中に作家さんから聞いたステキな言い訳

新潮社さんの締め切りエピソード。

カラスの好きですね。

高畑勲と『かぐや姫の物語』の締め切り

高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』が出来るまでから。

いつまで経ってもシナリオが上がって来ないため、「どうなってるんですか?」と問い詰めると、「毎日あなたが来るけど、あなたが来たら雑談ばかりして脚本が進まない。あなたが来なかったら集中力が持たなくて書くことが出来ない」と小学生のような言い訳をする高畑さん。それを聞いて「つまり、僕が来ても来なくても書かないってことじゃないですか!」とキレる西村さん。
( 中略 )
結局、半年掛かって9ページしか書けなかったため、「このままでは駄目だ。誰か脚本家に頼んだ方がいいかもしれない」と考え、高畑さんに相談すると「坂口理子さんがいいんじゃないですか?」と推薦されました。

さらにアニメーターもひどい。

そして「絵」のメインスタッフとしては、アニメーターの田辺修さんと背景美術の男鹿和雄さんが参加しました。田辺さんは『となりの山田くん』で「天才だ!」と高畑監督から大絶賛され、高畑さんもそれ以来「もう彼としか仕事をしたくない。彼がやりたくないと言うならその映画は作らなくても構わない」というぐらい信頼していた人物です。
その類稀なる才能は、宮崎駿も一目置くほどの凄腕アニメーターとして業界中に知れ渡り、「実感のこもった芝居を描かせたら右に出る者なし」と言われていました。しかし、一つ重大な弱点があって、抽象的なものから具体的なものを作ることができなかったのです。”実感がこもる”ということは、「具体的な実感を持って芝居を描く」ということですが、かぐや姫が山で暮らしているシーンを描こうとしたら、「僕、山暮らしをしたことがないので実感が湧かない。だから全然描けない」などと言い出したのです。
当然「平安時代寝殿造りに実感なんて持ちようがないし、十二単を着ている女性がどういうふうに歩くのか、どんな笑い方をするのか、全く実感できません」と一向に筆が進まず、時間だけがどんどん過ぎていきました。なんと5年間でたった数ページ程度の絵コンテ(尺数で30分ぐらい)しか描けなかったらしい。

高畑さんも田辺さんも天才なんだろうけど、僕には彼らの作品は上手だと思うけど、面白いとか良いとは感じない。

高畑さんの直近の監督 5 作品。

今までジブリの面白くない方、という認識だったけど、宮﨑駿が引退したなら、ジブリはスティーブン・ジョブスのいないアップル。

締め切りといえば、『火垂るの墓』原作の野坂昭如の娘のエピソードが好き。

娘の学校での宿題の、「火垂るの墓の作者は、どういう気持ちでこの物語を書いたでしょうか」という問いに対し、「締め切りに追われ、ヒィヒィ言いながら書いた」と答えたと、テレビ番組で発言している。

火垂るの墓 - Wikipedia より。

手塚先生、締め切り過ぎてます!

手塚治虫の名言。

締切りなしの作業なら思い切り楽しい仕事になるだろうが、おそらくまったく進行しないに違いない。

そんな手塚治虫の締め切りエピソード。

手塚先生、締め切り過ぎてます! (集英社新書 490H)

多くの名作漫画を生み出した巨匠・手塚治虫。著者は三〇年以上にわたり漫画編集者、同業者(漫画家)、そしてチーフアシスタントとして手塚の創作活動を見つめ、作品に関わってきた希有な経歴の持ち主。『火の鳥』『ブラック・ジャック』『アドルフに告ぐ』…、名作誕生の裏にある巨匠の日常とはいかなるものであったのか?著者しか知りえないエピソードとイラストで浮かび上がる人間・手塚治虫の姿。関連年表とともに天才の軌跡をたどる。

2 日間の徹夜敢行で8本の連載原稿を描きあげたり、小指から手首までの大きなペンだこのエピソードなどなど。

こんなに漫画を描く人はいない。

コミケ同人誌の未完成本を読むとそう思います。

そんな手塚治虫だって、締め切りではいろいろあります。

たけくまメモから手塚伝説

手塚伝説(その1)禁断のプライヴェート篇: たけくまメモより。

手塚は悦子夫人との婚約時代、年に3回しかデートができないほど多忙だった。しかもデート中、ほとんど居眠りをしていた。
死ぬまで多忙だった手塚は、夫人との30年におよぶ結婚生活で、一緒にいられた時間はトータル1年半くらいだったと言われる。「よくお子さんを三人も作る時間がありましたね」と知人からつっこまれたが、手塚は「あんなの五分あればできますよ」と答えた。

手塚伝説(その2)お仕事篇: たけくまメモより。

50年代の全盛期、手塚の担当編集者は月はじめにくじ引きをして原稿をもらう順番を決めた。なぜこうなったかというと、締め切りが重なると各社の手塚番が殴り合いのケンカをはじめるからである。
手塚流言い訳(その1) ある日、先生が部屋で寝ているので編集者が起こしたら、「ボクは寝てませんよ。横になって眠気をとってただけです」と言い張った。
言い訳(その3) あるとき、先生の原稿があまりに遅く、ついに入稿が間に合わないことがあった。一週間以上、仕事場に泊まり込みで原稿を待っていた編集がブチ切れて「もう間に合わねえよ!」と怒鳴り、原稿を窓から放り投げた。すると手塚は涙を流しながら「ボクだって大学出てるんだから!」とわけのわからないことを叫んだ。
手塚はよく原稿を編集に見せて相談した。ある編集は、とにかく早くあげてもらいたい一心で「いやあ面白いですねえ」とお世辞を使ったら、「こんなの面白いわけないじゃないか!」といきなり怒鳴って原稿を破きはじめた。
手塚は執筆中、アイデアに詰まると、アシスタントに無理難題を言って時間をかせぐ癖があった。あるときなど「スクリーントーンを全部手で描きなさい」と指示したことも。アシスタントは黙々と一晩かけて細かい網点を全部描いたという。
ファックスのない時代、手塚は海外から原稿の背景をアシスタントに電話で指定することがあった。どうやるかというと、原稿用の紙に3ミリ間隔で升目を引き、タテ・ヨコの線にそれぞれ番号をふる。そのうえで、「Aの15」というように線が交差するところに点を打つのである。この点を結ぶと見事な絵になったという。ただし、電話料金で原稿料はすべて飛んだ。

手塚伝説(その3)逃走篇: たけくまメモより。

手塚は石ノ森章太郎の結婚式で仲人を引き受けたが、締め切りに間に合わず、肝心の結婚式をすっぽかした。石ノ森が周囲の編集者にぼやくと、編集は全員「そりゃ、あの先生に仲人を頼んだ石森さんが悪い」と口をそろえた。
手塚は締め切り間際によく雲隠れしたが、ある日いつも隠れ家にしているホテルに行くと、支配人から出入り禁止を言い渡された。手塚の知らないうちに編集者が乗り込んできて、「手塚いるか!」と全部のドアをたたいて回ったかららしい。
地方に逃げたときは、旅館で編集が身柄を確保し、アシが総出で新幹線や航空機で一枚づつ原稿をピストン輸送することもあった。
手塚プロはその後、埼玉県新座市の中古ビルに転居したが、手塚がこのビルを気に入った理由は、部屋から直接外の非常階段につながっている構造で、編集の目を逃れて脱出できるからだった。
新しく手塚番になる編集者には、編集長から「常にパスポートと数十万の現金を用意しておけ」と言われたという。先生がふっとトイレに行くふりをして、海外まで逃げることがあったからである。

手塚伝説(その4)アニメ篇その他: たけくまメモ

日本初のTVアニメ「鉄腕アトム」は空前のヒットとなったが、あまりに多忙になったため手塚はキレて「労働組合を作ろう」と言い出した。社長は自分だということを忘れていたのだ。

ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~

ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~ (少年チャンピオン・コミックス・エクストラ)

漫画史にきらめく不朽の名作「ブラック・ジャック」!!“漫画の神様”手塚治虫先生の創作の現場を関係者の証言で再現するマンガ・ノンフィクション!!

修羅です。修羅と修羅場ですね。

先ほどの『かぐや姫の物語』でも

なお、西村プロデューサーの元には連日のようにスタッフ達が辞職を申し出ていたものの、その都度「頼むから辞めないでくれ!」と必死に引き止めたおかげで、実際に辞めた人はほとんどいなかったらしい。

という話がありました。

かぐや姫の物語』も手塚治虫ワタミすき家も、ブラックです。

ですが、好きなことはいくら徹夜しても楽しいんですよね。腹立つこともあるけれど。

なので手塚治虫の現場には少し憧れるものはあります。