カフカ
Google のロゴが気持ち悪いと思ったら 7/3 はカフカの誕生日なのですね。
この本の表紙なんか Google のロゴ的。
『変身』の冒頭の記述では
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。
と「かぼそいたくさんの足」があるのでダンゴムシ的なものをイメージしました。ただ、後半、飛ぶんだよね。
外は吹雪が吹き荒れているというのに、馬車を引き立てていく馬がいない。医者が腹立ち紛れに豚小屋を蹴飛ばすと、そこから馬丁とともに二頭の馬が現れる。そこで医者は馬丁に命じて目的地へ向かおうとするが、医者の女中ローザに目をつけている馬丁は留守番をすると言い張る。
さて、ネタバレもしたところで、カフカ本家ではなく、カフカにまつわる面白い本の表紙とか紹介します。
誰よりも落ち込み、誰よりも弱音をはき、誰よりも前に進もうとしなかった人間の言葉。今までになかった“絶望の名言集”。
「誰よりも前に進もうとしなかった人間の言葉」って酷い言われようですね。
ところで フランツ・カフカ - Wikipedia を読むと
職場では常に礼儀正しく、上司や同僚にも愛され、敵は誰一人いなかった。掃除婦に会った際にも挨拶を返すだけでなく、相手の健康や生活を案じるような一言二言を必ず付け加えたという。掃除婦の一人はカフカについて「あのかたは、ほかのどの同僚ともちがっていました。まるきり別の人でした」と話している。
や
カフカの晩年のエピソードとして、ドーラ・ディアマントより次のような話が伝えられている。ベルリン時代、カフカとドーラはシュテーグリッツ公園をよく散歩していたが、ある日ここで人形をなくして泣いている少女に出会った。カフカは少女を慰めるために「君のお人形はね、ちょっと旅行に出かけただけなんだ」と話し、翌日から少女のために毎日、「人形が旅先から送ってきた」手紙を書いた。この人形通信はカフカがプラハに戻らざるを得なくなるまで何週間も続けられ、ベルリンを去る際にもカフカはその少女に一つの人形を手渡し、それが「長い旅の間に多少の変貌を遂げた」かつての人形なのだと説明することを忘れなかった。
などの素敵な一面が。アメリか。
カフカはいろんな人に影響を与えました。
1930年代から40年代にかけてカフカの国際的名声が高まると、各国の作家のなかにカフカの影響が現れるようになった。フランス、イギリスよりややカフカの受容が遅れたアメリカ合衆国では、主に1940年代以降、バーナード・マラマッドやJ・D・サリンジャー、ノーマン・メイラー、フィリップ・ロスらソール・ベローといったユダヤ系の作家にカフカの影響が現れている。
( 中略 )
ガブリエル・ガルシア=マルケスは、自身の作風を形作るきっかけをカフカから得ている。マルケスのマジック・リアリズムは彼の祖母に聞かされた民間伝承や戦争体験がその基盤となっているが、それを小説によって表現しようと思い立ったのは17歳の時、ボルヘス訳の『変身』を読んだことによってであった。マルケスが初めて小説を書いたのは『変身』を読んだ翌朝であり、特に初期の短編はカフカの『変身』がその基盤となっている。
マルケスが初めて小説を書いたのは、ボルヘス訳の『変身』を読んだ翌朝だなんて劇的。
22.6 x 12.2 のサイズがかっこいい。
Amazon のコメント欄にありますが、まさに瀟洒。
海外の作家だけでなく、カフカは日本の作家にも影響を与えています。
定番の海辺のカフカ以外を紹介。
見づらいですが、作者名が 朝霧カフカ 。
ロッテ新食感キャンディー「カフカ」のキャラクターだそうです。
私にはブッチュくんに見えます。